【さるとるの三木てくてくマップ】志染の石室(いわむろ)と窟屋(いわや)の金水

以前、こちらにも詳しく書いていますのでご参考ください。

前回、この旧跡の入り口斜面に植えられている淡墨桜(うすずみざくら)を取り上げましたが、このとき、せっかく、ここまで来たのだからと、石室(いわむろ)までてくてくしました。

ちょうど、水面(みなも)が金色に輝く時期で、写真も(どんちゃんが(笑))きれいに撮ることが出来ました。

「おー。ええやん!」
というわけで、せっかくだから、「金水」とこの「石室(いわむろ)」に伝わる二皇子のお話を詳しく聞こうと、取り上げることに。
久しぶりにご登場いただいたのは、三木市市史編さん室の廣井さん。


志染っ子の僕にとって、小さなころから、馴染みのあるこの場所ですが、不思議に思っていることがいくつかあったのでぶつけてみました。
例えば、王位継承争いで逃げてきたということなんですが、なぜ、都(当時は奈良)から遠い志染だったのか。もう一つは、水の張っている洞窟に隠れ住むなんてできないじゃないですかということ。
後者については、当時は水が張ってなかったか、張っていても、一部だったんだろうということで、なんなく納得(笑)
さて、前者ですよ。なぜ志染だったのか。聞いて感激しました。
この志染に、当時の皇家の方の親類・縁者が「いたんだ」ということなんです。
「なるほど!」と胸につっかえていたものがとれたような気がするとともに、歴史ロマンを改めて感じるのでした。
そんな話をしていますので、是非、お聴きください。

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